いいことばかりじゃない人生において、
常に明日を見つめて
何とかしてしていくことが必要である。

現状を把握し、
常にそれをいい状態に持っていけるようなイメージをして、
そこに近づけていく。

イチローはすごい。

俺はだめだ。

これから何とかしていこう。

結局何をやるか

2004年9月24日 日常
俺に残された時間は
どれだけあるのか、
明確ではないが、
結局はその残された時間の間に

何をやるか。

これしかない。
やらなくてはいけないことがたくさんある。
やりたいことに割く時間がない。
そんなことはどうでもいい。

何をやるか。

それを自分で決めて
実行する。
それしかない。
暮らしを変えていくときに
必要なもの。

まさにこの二つしかない。

問題は何か?ということと

どうやって解決していくか、ということ。

問題視しなければ、ずっとそのままやっていたことも
問題視すれば改善されるチャンスにめぐり合う。

問題視しよう。

自分の時間

2004年9月11日 日常
自分の時間は無限に落ちている。
それを拾わないだけなのかも。
結局今の俺には自由な時間がわりとあるが
うまく活用できていない。

結局はビジョンの問題か。

ビジョンが明確でないか、

それを実現していく覚悟がいい加減か。

だから何をやっても「自分の時間」と思えない。
すべて自分の時間なのに。

武士道

2004年9月8日 日常
最近武士道に関する本をたまたま読んでいるのだが、

いいな、

武士道、って。

時代背景も今とはかなり違う部分もあるかとは思うが、
本当にピュアな「道」はとても魅力的です。
でも「商売道」(そんなものがあるとしたら)と「武士道」はまったく正反対であったらしい。
武士にとって金の勘定をすることはつまらないこととされていたらしい。
俺はどの道を歩くべきか?
「俺流」なんて俺はいえないけどね。

果たして

2004年9月4日 日常
手帳は、うまく活用できているか?

答えは、NOである。

やっぱり俺はずぼら者だな。
でもできる限り毎日書けるようにもう少しがんばってみようと思う。

でも問題意識のありかを探す、といった作業は非常に重要であると思う。
何をどういう風に変えていかなくてはいけないか、ということは分かっているようでわかっていない場合が多い。
とりあえず「前向きに生きよう」と考えていたのが今までの俺の考え方であったと思う。
時間は有限だ。
その時間を何に対してどれだけの時間配分していくかという冷静なコントロールこそが俺が今必要としているものだと思う。

あ、そうだ、子供生まれました。1ヶ月したら帰ってくるのでにぎやかになりそうです。
休みの度に嫁の実家に行くので、ゆっくりもできない。
つかの間の一人暮らしも、あっという間に終わってしまいそうです。
考えることは、ある程度コントロールされなければいけない。
特に俺はずぼら者であるのでコントロールされなければ、

何もしない。

そこで、手帳を埋めることを義務化してみることにする。

今日1日の欄に「何か」を書くのだ。
何を書くか、何でもいい。
しかしあまりにもつまらないことはだめだ。
「今日も疲れた。」とかそんなのはだめだ。
たとえば今日なら「手帳の日々の欄に「何か」を書くことを義務付ける。」と書ける。

そうすれば、何かを考え出すようになる。
何か考えるべきネタはないか、と周りを見回すようになる。

問題点は何か思いついたけど、果たしてそれが、今日1日に値するネタかためらうこともあるかもしれない。
ひょっとしたらもっとすごいネタを見つけるかもしれない。
特に午前中はそうかもしれない。
そういう時はポストイットを貼り付けておいてそこに書く。
手帳の欠点はスペースが限られている、ということだと思う。
これを解決するのが、ポストイットだ。
無限に貼り付けることによって、無限にスペースは広がる。

こんな感じでいこう。

暮らし

2004年8月20日 日常
何度もいっているかもしれないが、

「暮らしを土台にしなくてはいけない。」

理想と非なる暮らしをしている人は
理想の暮らしをしっかりとイメージし、
それに近づくように少しずつ暮らしを変えていかないといけない。

ルーチンワーク的な暮らしが崩れつつあるというが、
夜寝て、朝起きる。
朝昼晩ご飯を食べる。
すべてルーチンである。

ルーチンをいかに改善していくか
それが人生だ。

久しぶり

2004年8月15日 日常
にパソコンを開きました。
最近は、家事に追われ、空いた時間には、ビールを飲む。
こんな生活ばっかりでした。
自分を見つめなおすいい機会にしたいといいつつ、

「自分は酒飲みだ」

という明確な答えしか見出せてません。

うーん。

ビール

2004年7月28日 日常
一日がビールによって薄められてしまうのはよくない。(正確にいえば発泡酒)
そんなのは逃げだし
俺が目指すのはもっと研ぎ澄まされた一日なんだな。

一人

2004年7月25日 日常
嫁が出産のため実家に帰りました。
ひとりです。
昔はひとりになったらうれしくてしょうがなかったけど、
今は微妙です。
昔は、料理、家事などを一切しませんでしたが、
今回は、少しがんばってみようと思います。
自分を見つめなおすいい機会にしたいと思います。

人と人

2004年7月14日 日常
人と人のつながりを
あまり重視しないで生きてきた。

今想うと
所詮この世は人と人のつながりによって
成り立っている。

つまりこのことを重視しないで生きていると
いつか痛い目を見る。

やばいな。

こんなものか?

2004年5月30日 日常
 あっという間に時間は過ぎるな。
 自分はいったい何をやりたいのか。
 とりあえずいろいろなことをやっていたら気はまぎれるのか。
 方向性であったり、ビジョンが見えてこないと一日の意味はないのでは。
 がむしゃらすぎるのか、何なのか。
 足が地に着いてないような気がする。
 自由時間が少ないのにやりたいことが多すぎるという物理的な問題から来るものなのか。

 それとも人生とはこんなものなのか。
 ひとつに効率化の波はあるが、
 ひとつにはリラクゼーション。

 これも必要だ。

 眼鏡をはずし、ゆったりと音楽に聞き入る時間。

 要は時間配分だな。

実行とのリンク

2004年5月3日 日常
 自分の日記を読み返していたのだが、かなりいいこと書いてあった。
 いいことは考えるんだが、実行とのリンクがいまいちか。

 当面計画的実行=スケジューリングの方向を考えたい。

何だろう。

2004年4月30日 日常
 何を実現したいのだろう。
 何を求めているのだろう。
 結局は、金が欲しい、できれば何もしたくない、かっこつけたい、
 こんなものではないだろうか。

 本当に自分の内側、自分の生涯、そして今の瞬間瞬間を見ていかなければ。

理想

2004年4月27日 日常
理想を持とう。

強く生きるために。

今日の俺はよくやったと思えるために。

一生懸命生きても空しいのは

これが俺だ、という核がないからだ。

システム

2004年4月23日 日常
 数日間、生きるシステムというものについて考えてみた。
 俺が生きていくうえで理想的なシステムというのはいったいどんなものだろう。

 おぼろげながら出てきた要点は3つ。
 1)自由時間に何をするか。
 2)日々何を考えるか。
 3)自由時間をどうやって作るか。

 この3点がコントロールされ、効率的に組み立てられた暮らしが、おそらく「システマチックな暮らし」ということになるのだろう。

P.S.聖菜さん、お気に入り登録ありがとうございます。

実家に帰る

2004年4月18日 日常
こないだ、久しぶりに実家に帰ったのだが、

なかなかよかった。

つつましく暮らしている家族がここにある。

以前は俺もここの一員だったんだ。

天井はやたら低かった。

いつも風が吹いていた。

そうだな、

まったく忘れていたな。
は、必要だと思う。

いつも思うのだがいい方法が思いつかない。
今、何とか採用されている方法がメモ帳にするべきことを書いておきやったら線で消していくという方法だが、

これはスケジューリングではない。

完全に時間軸を無視している。

要するにいつやるか、が全然明確にされていないのだ。
時間が空いたらそのメモ帳を見ながら「とりあえずこれ、やっとこ」って感じでやっているだけである。

それで何とかなっているところもすごいが。

もっと「1年後はこうなっていたいから今これをやる」「今週はこういうことをやる」的なスケジューリングをしたい。

しかも簡単に。

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