何かのスペシャリストになれば
その肩書きでいろんな会社を渡り歩けるし、
そのもののスキルをあげることによって
給料も上げれる。

転職

2005年3月30日 お仕事
ほぼすることに決定しました。
嫁さんにも話しました。

問題は、どうやって?
と、どこに?です。

ワンチャンスだと思ってます。
つまり残りの人生の大半を過ごす場を決めるのです。

これはでかい仕事です。

新しい日々

2004年7月13日 お仕事
新しい日々の始まりを感じる。

義務によって縛られるのでない、
自分のペースで呼吸をし、
自分のペースで仕事をし、
そして自分は暮らしを通じて、
いろいろな人と交流を深めていくのだ。

やっていることは同じなんだ。

ただ考え方を変える。

同じことをやっていても

頭の中がまったく違う。

「受け入れつつ創造する」

やらされる仕事でなく、
創り出す仕事である。

結局

2004年7月7日 お仕事
3週間で売上はまったく上がらず。

少し天狗になっていたのか。
完全に打ちのめされました。

明日は会議だ。

怒られてきます。

失敗

2004年6月28日 お仕事
お客様対応を完全にミスってしまった。
つい、自分のことを先に考えてしまった。

絶対、2度とあんな対応はすまい。

ほんとにすいませんでした。

店。

2004年6月21日 お仕事
店は結局自分が描いているラインに合うように
「ああしろ」「こうしろ」と指図してそれに近い状態に
もっていくしかないのか。

そんなのは長続きしないと思うし。

各人ひとりひとりのモチベーションを高めて、
自動的に動いてもらうようにしないと
ある種押し付けだけでは人は動いているように見えても
動いていないし、リピートしてくれるお客様も増えてはこない。

社員もバイトも上司も、もちろんお客様も含めて
みんな「お客様」なんだ。

満足させなければ明日につながってこない。

異動

2004年6月6日 お仕事
異動かも。

とりあえず3週間入ってみろということです。
よければそのままそこに入るのか。

閉店は7時までで今より2倍強忙しい店です。
落ちてる売上を上げなくてはならない。

3週間で。

今までにないプレッシャーを感じる。

でも。

面白そう。

3週間というところがいい。

完全に異動して売上を上げろといわれるのとはまた違うプレッシャーがある。
3週間あげるけどまだ決まったわけじゃないからねぇー、というのはある種失礼な話ではあるが、
できる限りのことをやってみて数字があがったらこれほど面白いことはない。

面白そうなのである。

作戦

2004年4月12日 お仕事
 いったいほんとに自分はどうなってしまうんだろうと思うと嫌になる。
 体力的に続けられる仕事ではない。
 上に上がるチャンスは限られている。
 他社でも有効な技術の習得はほとんどない。

 売上を上げて上を狙いつつ、
 他社でも通用する技術を別個に習得していくしかない。

 しかしそんな時間は取れない。

 この難関を潜り抜け、生き抜いていくところに人生の醍醐味があるのか。

 さて他社でも通用する技術とはどんなものか。
 それを明確化せずに習得しようとしてもかなり無理がある。
 以前「商売のプロになりたい」と書いた記憶がある。
 それがいいのではないか。

 面接の時にはこう言う。
 「私は商売のプロです。どんなものでも最大限に売ってみせます。」

怒るな。

2004年4月10日 お仕事
思い通りに動かない部下に腹を立てるのでなく、
どうすれば動いてくれるか、
考えてやってみる。

それでだめだったら、

その部下が悪いのでなく、自分の動かし方が悪いのだから、腹は立たない。

怒るな。
それは速いほうがいい。
複数いるときはその和が速いほうがいい。

でも速くても質が悪いのは困る。
質のいい仕事を如何に速くやるか、これに尽きる。

そしてこれをやらせる。

すべてはそこに尽きる。

やる気

2004年4月8日 お仕事
結局はやる気を引き出したものが勝ちである。
いくらガミガミ言っても言う以上にやらなくなったら終わりだ。

そうなってくるとやはり人と人との付き合いが求められてくる。

俺はあまり付き合いが得意ではない。

どちらかといえばいやなやつとは話したくないほうだ。

もう少し自分を出してもいいのか、
それとももうやばいのか、

いっそすべてぶち壊してしまいたい。
自分というものは他人に依存しない。
他人が働かないから自分も働かない、

とか、

自分がこれだけ働いているのだから他人もここまで働いて欲しい、

という考えは基本的に成り立たない。
ただ自分が他人の上司である場合、これをやって欲しい、もっと働いて欲しい、ということは、言える。
しかし、働くか働かないかはその他人しだいである。

ここからどういう結論を導くか。

自分は一生懸命力の限りやる。
他人には、こうしてほしい、ということをはっきりと言う。

自分はこれだけがんばっているのだから他人もここまでやらないとおかしい、と考えて腹を立てるのは時間の無駄だ。
今まで店の売上を上げる方法ばかり考えて
自分の収入を上げる方法を考えることを怠ってきた。
約1年半に渡って店の売上は上昇を続けているが、
俺の給料は1円たりとも上がっていない。

これは自分のミスだ。

店長として売上を上げることは当然の使命だが、
売上を上げたときに報酬をしっかりと上げてもらえるように根回しすべきだった。

まあ、いい。

人間はミスを重ねて成長していく。
を身につけたいと思う。
35歳になったら自分で仕事を選べるようになりたい。

そのためには「絶対にやれます。」とかいうようなあいまいなものではなく、いろいろな仕事を超越したグローバルな知識を身につけ、その知識と経験によって物事を語れるようにならなくてはだめだ。

自分の店にふりかかるもろもろの雑務、日々の業務、息子のお守りもしながらグローバルな能力を開発していくことは並大抵のことではないと思う。

しかし、自分は自分の人生と家族の人生を守るという第一使命がある。

やらなくてはならないのである。
本社に自分の能力をアピールするということはなかなか難しい。
自分はほかの人たちとは違うからとまったく違う切り込み方で発表しても
「お前の言ってることはまったく分からない」といわれてしまう。

策としては伝統的な発表スタイルを継承しつつそこに自分なりの新しい考え方を取り入れ、全体としてみたとき「あいつの考えていることは新しいし、もっともなことだ」と思われるようにしなくてはならない。

つまり相手に対して分かる部分と新しい部分の両方を提示しなくてはならないということだ。
今までの自分は人と違うということを強調すべく新しい部分ばかり強調していた。

アピールは難しい。
お前の言っていることはかっこいいかもしれないが、
死んだら終わりだよ。

ただ、今日も明日もどうして楽して生きようかとそればっかり考えて生きているやつよりかは、比較できないほどかっこいい。

・・・かっこいいも悪いもないね。
死にたくない。楽したい。大して変わらない。

マイペースでやればいいんじゃないの。

限界点

2004年3月5日 お仕事
あんなことまではできない、こんなことを毎日続けていたら過労で死んでしまうのでないか、

そういった限界点を超えてがんばることに
一種の美学を感じる。

すべてを放り投げてまずがんばってみるんだ。
一心不乱にがんばる。
そして一日が終わり自分の為した仕事をかえりみてみる。

最高の一日ではないかもしれないが、
悪くない一日だったと思えるだろう。

憎しみや不安

2004年3月3日 お仕事
なぜ俺は憎しみや不安ばかりを募らせてしまうのだろう。

もっと明るい事を考えて生きていけないのだろう。

もっと自分の側に立って、
今日できる限りのいい自分でありたい。

ぐちゃぐちゃに詰め込まれた仕事の山を見ながら
いつ終わるんだろう、と不安に思ったり、
あいつのせいでこうなった、と誰かを憎んだり、
そんなことお構いなしで、
自分らしく、仕事をこなしていける、
よく言えばマイペース、悪く言えば、ずうずうしい

そんな自分になりたい。

あと1年

2004年3月1日 お仕事
あと1年とことんがんばってみて
それでも芽が出ないようなら転職を考えようかと思う。
しかし次はどんな仕事に就くかも考えていかないとだめだし、もし必要であれば資格などの準備も要るだろう。

人生を棒に振りたくない。
家族を路頭に迷わせたくはない。

あくまでも前進のための方針だ。がんばろう。

fair

2004年2月27日 お仕事
fairという単語はスポーツなどで、フェアに戦う、という風に「公正な、公平な」の意だが、もともとの意味は「美しい」であったそうだ。

だからこの語は常に正しいという意味と美しいという意味をあわせ持つ。

俺の仕事の理想はこれに近い。正しくありたいし、それは客観的に見て美しくもありたい。

ただしこれだけではだめで、スピードも必要だ。

したがって俺の仕事の理想は速くてfairな仕事ということになる。

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